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風姿花伝「まことの花」

現代でも通じる芸能論といわれる世阿弥の『風姿花伝

大学で少し学んでから芸に生きる方を拝見すると、この『風姿花伝』を重ねます。

世阿弥は650年前に能を大成した人物。

美少年だったようで時の権力者、足利義満に気に入られました。


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それぞれ道が違えば異なってくることもありますが、年齢を重ねて、なお「花」がある方を見るととても嬉しくなります。

今回は、この世阿弥の『風姿花伝』の話です。

 

風姿花伝

風姿花伝』第一章「年来稽古条々」には、世阿弥が後世に芸を伝承するために、年代ごと

の注意点などが言及され、年代は7つに分けられています。

  1. 幼年期(7歳頃)
  2. 少年前期(12〜13歳より)
  3. 少年後期(17〜18歳より)
  4. 青年期(24〜25歳の頃)
  5. 壮年前期(34〜35歳の頃)
  6. 壮年後期(44〜45歳の頃)
  7. 老年期(50歳以上)

ここから本題「まことの花」が深く関連する箇所を見ていきたいと思います。

 

壮年前期(34〜35歳の頃)

世阿弥は、この年頃で天下の評判をとらなければ、「まことの花」とは言えないと言っています。

「上がるは三十四、五までのころ、下がるは四十以来なり」

上手になるのは、34〜35歳までである。40を過ぎれば、ただ落ちていくのみである。だから、この年頃に、これまでの人生を振り返り、今後の進むべき道を考えることが必要なのだというのです。34〜35歳は、自分の生き方、行く末を見極める時期なのです。

 

世阿弥が生きていた時代と現代では、日本人の平均寿命も伸びてますし、背景や環境も異なりますから、この年齢よりもまだまだ伸びしろがあるのではないかと思っています。

 

 

壮年後期(44〜45歳の頃)

「よそ目の花も失するなり」

どんなに頂点を極めた者でも衰えが見え始め、観客には「花」があるように見えなくなってくる。この時期でも、まだ花が失せないとしたら、それこそが「まことの花」であるが、そうだとしても、この時期は、あまり難しいことをせず、自分の得意とすることをすべきだ、と世阿弥は説きます。

この時期、一番しておかなければならないこととして世阿弥が挙げているのは、後継者の育成です。自分が、体力も気力もまだまだと思えるこの時期こそ、自分の芸を次代に伝える最適な時期だというのです。

 

この時期を過ぎても、失せない花が「まことの花」と世阿弥はいっています。

 

 

老年期(50歳以上)

能役者の人生最後の段階として、50歳以上の能役者について語っています。

「このころよりは、おおかた、せぬならでは手立てあるまじ。麒麟も老いては駑馬に劣ると申すことあり。さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆みな失せて、善悪見どころは少なしとも、花はのこるべし」(もう花も失せた50過ぎの能役者は、何もしないというほかに方法はないのだ。それが老人の心得だ。それでも、本当に優れた役者であれば、そこに花が残るもの。)

 

50歳を過ぎても、本当の優れた役者ならば、そこに花が残るもの。

現代、50歳過ぎは働き盛りだと思われますが、20代の頃の輝きとは誰もが異なってきます。そこから、新たな魅力が出てこその花。

 

 

「初心忘るべからず」

世阿弥が説く7段階の人生は、何らかを失う、衰えの7つの段階であるともいえます。少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消える。何かを失いながら人は、その人生を辿っていきます。しかし、このプロセスは、失うと同時に、何か新しいものを得る試練の時、つまり初心の時なのです。「初心忘るべからず」とは、後継者に対し、一生を通じて前向きにチャレンジし続けろ、という世阿弥の願いのことばだといえるかもしれません。

 

人生は何かを失い、また何かを得る試練。いくつになっても初心の時。

前向きに挑戦し続けようということ、その努力があってこそ「まことの花」と言えるのでしょう。

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芸の道に生きる人間ではなくても、一生前向きに挑戦し続けられるように生きていきたいですし、努力していきたいと思います。

 

www.the-noh.com

↑こちらより引用

 

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